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動画・インタビュー

NAGOYA23 丹羽選手  動画・インタビュー


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プロフィール

丹羽 良太 (にわ りょうた) 選手

1984年生まれ A型 愛知県出身 
右投げ右打ち 外野手 
中京大学付属中京高校 → 中京大学NAGOYA23
 → 群馬ダイヤモンドペガサス(2008 ~)
中京大中京高校時代は、二年生の春から6番センターでスタメン出場。新チームからは4番としてチームを引っ張り、第72回春の選抜甲子園大会出場。
卒業後は中京大学へ進学。1年生の春からベンチ入りし、2年生春からはチームの4番を任される。その年の春季リーグでチームを優勝に導き、自身も愛知大学野球リーグのベストナインに選ばれる。大学選手権では初戦敗退。その後もチームの4番を打ち続け、チームの勝利に貢献。
大学卒業後は卒業年(2007年)と同時に発足、元中日ドラゴンズの川又氏が立ち上げた社会人硬式クラブチーム「NAGOYA23」に入団。チームの初代キャプテンと4番を兼任し、チームを引っ張った。
今年から独立リーグである北信越BC リーグの新規参入球団「群馬ダイヤモンドペガサス」へ移籍。新天地で自身のレベルアップと共にプロを目指して走り続ける。
NAGOYA23http://野球.homepage.jp/07/2007/12/post_240.html
BCリーグhttp://www.bc-l.jp/index.php
群馬ダイヤモンドペガサスhttp://www.gsm.co.jp/main.htm

バッティング のポイント

1、背筋を伸ばす
2、両目でボールを見る
3、力強くボールを叩く

インタビュー

 野球とは一生懸命やる趣味です。 

丹羽 良太 (にわ りょうた) 選手

 ――現在野球をするにあたって、大切にしていることは何ですか?
 丹羽選手  練習のときは、実戦を意識した練習をすることです。僕は外野手なので、例えばキャッチボールでは、捕球してから送球のステップを意識したり、フェンスで跳ね返ったクッションボール処理の動きを意識して投げています。 バッティングではティーバッティングでも横からではなく、危なくないようにネットを張って真正面から投げてもらったりしています。練習ではどんなことでも試合に活かせれるような形を作ることを大切にしています。
試合のときは、個人の結果を残すことを前提にチームにとってプラスになることを大事にしています。勝つために試合を行うので、ときには自分が犠牲にならなければいけないですし、投手に一球でも多く投げさせることも常に意識しています。 あといかに早く相手投手に慣れるかということも大切にしています。これに関しては、ベンチで相手投手のタイミングを合わせたり、実際に打席に立ったときは、対戦を終えた打者の情報と自分の感覚を一致させることに集中していますね。

 ――理想の野球選手はどのような選手ですか?
 丹羽選手  ブレない人間です。野球は当然ですが、野球以外においても自分に信念がある人間が理想ですね。やっぱプロに行く選手は他人に何と言われようと自分の信念を崩さないですね。

 ――野球に対するモチベーションが下がってしまうときはどんなときですか?
 丹羽選手  やらされる練習ですね。チームとしてやるべき練習は苦にならないですが、練習メニューがマンネリするとどうしてもモチベーションは下がりますね。
  特にトレーニングを全員でやったりするのが苦手です。自分の体は自分が一番分かっているので、あえて全員で同じことをやる必要はないと思ってしまうんですよね。

 ――小学生のときはどのような選手でしたか?
   丹羽選手  ドッチボールのクラブチームにも入部して、愛知県で2位になったこともあります。野球よりもドッチボールの方に夢中でしたね。ただ、このドッチボールの影響で、野球のほうは打つことはできても、スローイングがドッチボール投げになってしまっていたのでひどかったですよ(笑) 守備のほうも全く守れませんでした。当然チームは弱小で練習試合で勝ったらみんなで抱き合って喜ぶようなチームでした。この頃はまだ遊び感覚でしたね。

 ――中学生のときはどのような選手でしたか?
   丹羽選手  まともに始めたのは中学といっても過言ではないですね。緑クラブという軟式のクラブチームに入部しました。指導者、練習環境、チームメイトは恵まれていたと思います。
特にチームメイトには恵まれていましたね。一つ上に薄井康博さん(中京大中京高校「主将」→東北福祉大学「主将」→現ヤマハ)、同級生では武山信吾(享栄高校→現横浜ベイスターズ)、池田憲明(愛工大名電高校→明治大学卒)。皆それぞれ私学で中心選手になりましたからね。見ての通りチームの戦力的にも強かったです。

 ――個人的にはどうでしたか?
   丹羽選手  僕個人は、1年生の秋から5番レフトでスタメンでした。2年生のときに県大会準優勝、3年生のときには3番レフトで愛知県大会優勝しました。
 当時クラブチームの練習は週3日だけだったので、家では毎日ランニング4キロと素振り100回は必ずやっていましたね。 今思うと、この頃は本当に真面目だったと思います(笑)。

 ――全国でも強豪の中京大中京へ進学されましたが、どのようにチャンスを掴みましたか?
   丹羽選手  中京大中京高校へ進学して、入学当初から怪我をして半年間は基礎トレーニングでした。だけど、怪我が治るとB戦(2軍戦)に出場するようになり、それなりに結果を残していましたね。ただ1年秋の時点では同級生が5番ライトで出場していたので、新チームになるまではレギュラーは無理かなと考えたこともありました。 だけど、年が明けて2年生になる前に、1軍の練習試合でスタメンのチャンスが巡ってきました。何としても結果を残そうと必死にやった結果、3安打1本塁打の華やかなデビューでした(笑)。ここから、先にレギュラーを取っていた同級生を退いて6番センターで出場するようになりましたね。
  ただ自分の中では絶対的な自信は持てていなかったので、内心いつレギュラーを取られるか分からないという気持ちもありました。

 ――レギュラーとしての自信はどのようにつきましたか?
 丹羽選手  レギュラーを取られるんじゃないか、という気持ちを払拭したのは5月におこなった練習試合でしたね。相手はその年選抜準優勝の仙台育英だったのですが、1打席目に満塁ホームラン、2打席目に3ランホームラン、3打席目にタイムリー2ベース。この試合8打点をあげることができました。
  結果も自信になりましたが、全国を経験した投手から打てたことが何よりも自信に繋がりました。

 ――一番大変だった時期のことを教えてください。
 丹羽選手  最上級生になってからです。
  2年生の夏の大会で優勝候補と言われながらも逆転負けの初戦敗退でした。
  負けて学校に着いてすぐに僕を含めたレギュラーが呼ばれ「お前らのせいで負けたんだ」ってことを厳しく言われましたね。ここからは、練習をやらされるのではなくてやらなければいけない状況でしたね。学校着いたのが夜8時でしたが、すぐ練習しました(笑)。もう野球漬けの毎日でした。チームの4番としてもあの初戦負けの悔しさを糧に必死に練習するしかありませんでした。
  その甲斐あって、春の選抜大会に出場することができましたけどね。

 ――高校野球を通じて成長できたこと、学んだことなどを教えてください。
 丹羽選手  技術的にもかなり成長したと思いますし、しっかり食べていたので体格もかなり変化しましたね。
ただ一番大切だと感じたのは気の持ち方ですね。春の選抜大会に出場しましたが、秋の予選ではスランプに陥りました。バッティングの調子が悪いとかではなく、野球に対して考え過ぎていた部分が影響していたのです。考えすぎてしまったので秋の大会が終わって、年末のオフには野球を切り離して過ごしました。客観的に野球をみることによって自分を見つめ直すことができましたね。「たかが野球」って感じで開き直りも大切だと自分の中に植えつけました。結果、年明けから思うようにプレーができるようになりましたね。

 ――中京大学時代のことを教えてください。
 丹羽選手  1年の春からベンチ入りさせてもらい、2年春から4年秋まで4番でした。  中京大は自主性を重んじる体制だったので、暇があれば練習していましたね。 実は暇があれば練習するようになったのは、1年の秋季リーグ戦で当時愛知学院大学のエース筒井投手(現阪神タイガーズ)と対戦してからです。 結果は3三振で、全く手も足もでなかったですね。左投手は得意な方でしたけど、粘ることもできずきりきり舞いでした。そこから今の練習量では足りないと感じて、暇があれば野球に打ち込むようになりましたね。

 ――「暇があれば練習」に関して具体的に教えてください。
 丹羽選手  全体練習が終わってからは当然でしたし、夜ご飯を食べた後もグラウンドにきて練習しました。1年生の頃は試合に出る機会もあったのですが、完全なレギュラーではなかったのでレギュラーになることが最優先事項でした
  大学の講義の一環としてスキー合宿がありましたが、そこにもバットを持っていきました。どんなときでも暇があれば練習していました(笑)。

 ――大学野球を通じて成長できたこと、学んだことを教えてください。
 丹羽選手  中京大学での全体練習は、あまり長くなかったので、自主練習を工夫しておこなう習慣が身につきました。あと、自分に必要なことを練習に取り入れることを繰り返しやりましたね。
  野球とは別に、一人暮らしだったので親のありがたみを実感しました。炊事、洗濯、掃除をやりながら野球をしていたので、特に感じましたね。

 ――社会人クラブチーム「NAGOYA23」に入団したわけですが、経緯を教えてください。
  丹羽選手  大学のときから、卒業後は社会人の企業チームでやるつもりでした。いくつかの企業チームの練習も参加しましたが、結局声はかからず、その年(2007年)に発足する「北信越BCリーグ」と「NAGOYA23」のトライアウトを受け、北信越BCリーグ は不合格、NAGOYA23 からは合格をもらいました。

 ――NAGOYA23の初代キャプテンに任命されましたが、新チームのスタートはどうでしたか?
  丹羽選手  まず練習環境が高校、大学と比較すると雲泥の差でした。
  球場は日替わりで、道具(ボール等)も不十分でした。 メインの練習球場は万場公園っていう河川敷なんですが、内野のスペースしかない小学生用のグラウンドです。すぐ近くが川があるので、バッティング、外野ノックは無理です。内野ノックも、グラウンドがひどく荒れていて、手で転がしてもイレギュラーするくらいなので危なくてできません(笑)。

 ――そんなシビアな環境で、練習にはどのような工夫をしましたか?
  丹羽選手  一番、必要だったのが意識の問題です。どういった練習をするのかではなく、何のための練習をするのかが重要になってきます。できる練習メニューは全て基礎的なことですから、高い意識を持ってやらないと全く意味がないですからね。
  このような環境で練習をしていると、どんな練習に対しても「試合に繋がることはないか?」と考えるようになりました。キャッチボール一つにしても試合をイメージし、とにかく一つの練習メニュー、動作に対して強い意識を持つようになりました。
  今までは環境に甘えていたということを実感できました。

 ――「仕事」と「野球」の両立は大変でしたか?
  丹羽選手  苦労しました。NAGOYA23では所属選手が、いくつかの協賛企業に振り分けられるのですが、僕はコンビニに配属されました。仕事内容も大変でしたけが、それよりも通勤が遠くて苦労しました。練習時間が8:00~13:00で、仕事の勤務時間が15:00~23:00でした。通勤に一時間半はかかったので練習が終わって、すぐに仕事という日課は本当に大変でした。
  仕事から帰宅後の素振りは欠かさずにしていました。素振りが深夜に及ぶこともあったのですが、「限られた時間を有効に使わなければ」という意識を常に持ち続けていました。

 ――少年野球~大学野球までプレーしている選手たちに、それぞれ一言お願いします。
  丹羽選手・・・
~小学生へ~
 野球を好きになって、野球を遊びにしてください。勝ち負けなんか気にしないで、チームメイトよりも上手になりたい、速い球が投げたい、遠くに飛ばしたいとかでいいので、純粋に野球に取り組んでください。

~中学生へ~
 身体もできてくるから野球ができる体力づくりをして欲しいですね。自主性を持って練習に取り組み、ご飯をたくさん食べて丈夫な体を作ってください。高校での練習はハードになるので。

~高校生へ~
 ひたすら「努力」だと思います。練習によって伸びる選手もいるし、心身共に上達する時期でもあります。練習がハードになるので怪我には気をつけて欲しいですね。

~大学生へ~
時間を有効に使ってください。パチンコする暇があったら練習したほうが身のためですから(笑)。

 ――丹羽選手にとって、野球とは何ですか?
 丹羽選手  一生懸命やる趣味です。

 ――最後に今後の目標を教えてください。
 丹羽選手  まずは群馬ダイヤモンドペガサス(北信越BCリーグ)でレギュラーを取って、元チームメイトの山口君(NAGOYA23→新潟アルビレックス)と対戦したいですね。
  数字的な目標は、打率.330 本塁打10 70打点ですね。
  特に打点を意識したいですね。
  個人的にはチャンスで打つ、観客の目に付く打球を打つ、本塁打も10本中3本が場外打てるようにしたいですね。
  プロに行くにはラストチャンスです。100歩譲って2年が限界ですからね。
  1年目から結果を出していきます!!

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