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岐阜県軟式少年野球:川島クラブ 横井監督 インタビュー


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プロフィール

横井 教孝 (よこい のりたか) 監督

1963年生まれ  岐阜県出身 
 小学4年生から高校3年生まで野球を続ける。
 日本体育大学卒業後は地元で就職し、草野球に携わる。
3人の息子の長男が選手のときに初めて川島クラブのコーチとして少年野球に携わり、昔の指導法で は今の子供たちには伝わらないことを知る。次男が選手のときもコーチとして携わり、少年 野球指導者としての知識を学ぶ。
 2回のコーチを経て、三男が4年生で川島クラブに入部したと同時に監督就任。子供たちの性 格、チームカラーを把握した指導法で、県大会優勝、東海大会優勝、岐阜県代表として全国大 会出場に導く。
2007年:川島クラブ6年生チームhttp://www.ikz.jp/hp/16club/
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横井監督の指導 のポイント

1、基本と運動能力向上
2、野球が楽しいと思えるようにすること
3、俺がやるんだという積極的な気持ちを持たせる

インタビュー

 一番は子供たち 

横井 教孝 (よこい のりたか) 監督

 ――横井監督の球歴を教えてください。
横井監督 小学校4年生から高校3年生まで本格的にやっていました。
 小学校4年生から川島(現在監督)で野球をはじめ、最初は補欠でしたが、6年生になってから外野で試合に出るようになりました。当時部員数は一学年30人。男なら野球、外で遊ぶのも野球という時代でした。
 中学校でも当然野球部に入部しました。部員は学年で大体14,5人。3年時にキャプテンを務め、春の大会で岐阜県大会ベスト4が一番いい成績でしたね。
 高校は進学校に進み、部員数も少なく弱小高校でしたね。1年生の夏の大会からレフトでスタメンでした。夏は3年間で1勝しかできませんでした。高校でも3年時にキャプテンを務め、一番良かった成績が2年秋の岐阜県大会ベスト8でしたね。
 大学は教師を目指し日本体育大学へ進学しました。足に自信があったことと、教師を目指すには陸上のほうが良いという恩師のすすめもあり、野球を断念し、陸上部に入部しました。
 就職後は地元で草野球をやっていました。

 ――監督に就任されたのはいつですか?
横井監督 現在6年生の子供たちが4年生のときに就任したので約3年前ですね。

 ――指導に関して戸惑いはありませんでしたか?
横井監督 僕には息子が3人いるのですが、上二人のときは監督という立場ではなく、コーチという立場で少年野球を学びました。社会人野球を経験され、現在、中学校で監督をされている方に色々と教えてもらいました。その際に学んだことは、僕らが小さい頃にやってきたことを全部覆す様な内容でした。少年野球は昔と全然違うし、子供の気持ちも昔とは違うということを教えてもらいましたね。
 長男のときは、そういった少年野球に対する考え方を学び、次男のときに具体的な練習方法やどういった大会があるのかということを学びました。これらの経験を三男のときに活かせたらいいなと思うようになり、監督に就きました。なので、十分ではないけれど、ある程度の経験をしてから監督に就けたことが良かったと思います。
 ただ、本を読んで勉強したり、試合を行って素晴らしい監督さんだなと感じたときには試合後に意見交換をするなど、常に貪欲に勉強させてもらいました。

 ――就任されてから最初に取り組んだことは?
  横井監督 10歳前後が神経的な部分での成長時期だと聞いたことがあったので、三半規管を発達させることに着手しました。子供は三半規管が未熟ですので、感覚を養うために、ダッシュの中にでんぐり返しを採り入れるなど、基本的な動作にアレンジを加えた練習を行いました。
ラダーやミニハードルもトレーニングに加えました。用具を揃えるのにはお金がかかるので、ホームセンターで水道のパイプを買ってきて作りました。でも、それらの練習は冬場のトレーニング時期に基本的に行います。シーズン中はボールを使った実戦練習中心ですから、アップでおこなったりする程度ですね。

 ――監督という立場で大切にしてきたことは?
 横井監督  試合では、できるだけ子供たちに近い存在になるように心掛けました。例えばチャンスでベンチが静かになっているとき、普通なら「お前らチャンスやで声を出さんか!」と選手に訴えたくなってしまうところですが、僕の場合は子供たちに向かって「このチャンスはいくぞ!」って、まず僕が声を張りました。うちのチームは強いリーダーシップをとる選手がいないので、最初に誰が声を出すかが難しくて、誰かが声を出せばみんな出し始めます。なので、僕がその「誰か」になってあげることが、このチームをのせる1つの方法でしたね。負けた試合を振り返ると「自分自身もっと声出せたな。」と反省することもありました。
 野球に限らずスポーツは試合にでてなんぼのところもありますが、強いチームは試合に出ていない選手も出ている選手と一体となって、試合に臨んでいると思います。
 うちのチーム(川島クラブ)は15人いるんですけど、試合に出場できるのは9人ですよね。試合に出られない選手も、試合に参加できるように役割を作っています。例えば、ランナーコーチ、バット引き、ファールボール拾い。上の子達のときは試合に出ている子だけが声を出し、ベンチにいる子は砂遊びをしたりしている子がいたので、そういった形にはしたくなかったんです。
 県大会で優勝したときは15人中10人しか選手は起用できませんでした。だけど、優勝を決めた瞬間に試合に出場していない選手が「やったー!」と大声を出し、喜んでいました。その様子を見たときに、この子たち(試合に出場してない子)も試合に参加してくれてたんだなぁと思いましてね、とても嬉しかったですね。
 あと、子供たちに「何でできないんだ!」「なにやっとるんだ!」という言葉をかけないことですね。この言葉は思わず出ちゃうときがあります。ただ、子供はできないのが当たり前で、できないことをできるようにするのが指導者ですから。極力こういった言葉は意識して出さないようにしました。子供たちが6年生になってからは「失敗してもいいで思い切ってやろう」のような前向きな言葉を掛けていましたね。
 練習試合や大会の対戦相手の指導者から罵声が聞こえると、子供たちがかわいそうだなと思ってしまいます。なかには強いチームもありますが、対戦していて気持ち良くはないです。そんなチームとは練習試合を組みたいなと思ったりもしません。子供たちがやらされている感じが目に映るのは見ていて辛いです。

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――練習メニューについて教えてください。
 横井監督 オフシーズンは、ランニングメニューが中心です。走ることは単純なメニューになりがちなので全てリレー形式にして競わせます。競争意識も芽生えますし、競争すると子供たちはとても頑張りますよね。
 シーズン中は、守備練習中心です。私自身外野手出身なので、内野の細かい動きのことは私より野球経験のあるコーチに任せていました。コーチのみなさんは僕よりも経験があるので本当に助かりました。
 捕る、投げる、打つという技術的なことは練習で補えますけど、少年野球の指導で一番苦労するのは応用の部分ですね。試合で外野の間を抜けたら中継プレーという場面がありますが、選手はどこへ投げていいのか理解できない。ファンブルしてもアウトにできることだってあるのに、そこで終わってしまう。ランナーに出てもベンチやスタンドの声に反応し、飛び出してアウトになってしまったり。(笑)
 考えて野球をするようにとは言いますが、子供たちなりに考えてはいるのです。ただ自分で判断するということは子供にとって難しいですよね。そんな状況判断能力を練習で補うことは難しいです。ですので、練習メニューにこだわるというよりは、4年生の頃から試合をたくさん経験させました。状況判断は試合で培っていくものですからね。

 ――練習試合の相手はどのようなチームですか?
 横井監督 名古屋まで行ったりしましたよ。上の子でコーチとを経験していたときに、岐阜県のチームより愛知県のチームの方が、いろんな戦術をやってくることを知りました。そういったことに対応しなければ勝つことはできないし、いい戦術であれば子供たちにもやらせてあげたいと思いましたしね。ですから極力愛知県のチームと試合を組むようにしていました。岐阜県のチームが 2/3愛知県のチームが 1/3くらいの割合です。
 人伝いに練習試合をしたいチームの監督さんの連絡先を聞いたり、最近は強いチームほどホームページが盛んなので、ホームページを通じて練習試合を申し込んだりしました。毎日のようにインターネットでホームページのあるチームの結果をみて、連絡したりしました。

――昨年、岐阜県代表として全国大会に出場できた理由は?
横井監督  一番は子供たちが頑張ったことです。このチームは本当に「俺が俺が」っていう子はいない、おとなしいチームなんです。ただ、特にこの大会の子供たちは普段とは違っていましたね。私が盛り上げなくても自分から声をだしていましたし、親子一体となって盛り上がっていましたね。県大会から父兄が太鼓を用いて応援してくれたのも大きな力になりました。
 親子一体となって勝ちあがっていきました。

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 ――子供たちに今後どのような選手になってほしいですか?
 横井監督 それぞれ野球を終える時期は違うと思いますが、トータルで「野球をやっていて良かったな」と思えるようになって欲しいです。

 

 

 ――監督を勤められて得られたことは?
 横井監督 本当にいい思い出ばかりですね。
 県大会出場でさえも素晴らしいことなのに、全国大会である「聖地、水戸」まで連れていってもらえて、本当に嬉しかったです。
 私は監督としての3年間、子供たちに野球の楽しさを教えると共に、心に残る思い出をたくさん作ってあげようと、スタッフをはじめ父兄の方々の絶大なる協力のもと突っ走ってきました。しかし、逆に私が子供たちから、夢のような素晴らしい思い出をたくさんもらってしまいました。川島クラブの子供たちは、素晴らしい子供たちでした。感謝しています。

 

 

 ――最後に監督にとって野球とは?
 横井監督
 趣味でもないし、人生の全てといったら大げさになるし(笑)、ん~・・・夢ですかね。
少年野球の監督としてはこの子たちで終わりですけど、チャンスがあればまたやってみたいし、この先も何らかの形で少年野球に携わっていきたいですね。




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